希死念慮

希死念慮とは、死にたいと願う事である。


私はこの希死念慮とやらにもう何年も悩まされている。引っ越すための仮住まいに住んでいた頃、自分の存在が許せず真っ暗な部屋で布団をかぶり、一日中音楽を聴いて過ごした。高校生の時だった。死にたいと願っても実行に移せず、リストカットを繰り返していた。今でも傷跡が残っている。死にたいと願っているくせに、死ぬことも出来ない中途半端な自分に腹が立って情けなくてまた死にたくなる、永遠にこれの繰り返し。学校帰りは今飛び込めば死ねる、あそこから落ちたら死ねる、そんな事ばかり考えていた。学校は無論大嫌いだった。


社会人になっても変わらない。仕事もプライベートもうまくいかずストレスに晒され続けついに潰れた。ひとりになって自分は変わったと思ったが心の奥の奥は何も変わっていなかった。毎日苦しい。このブログだってこんな暗いことばかり書きたくて始めたわけじゃない。本当はキラキラしたものだって好きなはずなのに、それを感じることさえ不快に思ってしまう。どんなに最高な一日を過ごそうと希死念慮は消えない。ふとした瞬間に顔から表情が消えるのが分かる。


主治医にうつ病についての小冊子を渡された。休むことの大切さを説明された。そんなこと言われたって気持ちは焦るばかりだ。やりたいこともなく何を仕事にすればいいのかも分からない。また同じような仕事に就く気にもなれない。死ぬ気になればなんでも出来るなんて無責任なことを言うな。本当に死ぬ可能性だってあるんだ、責任を取れ。


また働ける日は来るのだろうか。社会から甘えだと言われるのだろうか。周りの目など気にせずマイペースにやってきたつもりだが、案外気にしていることに気づいてしまった今、何かアクションを起こさなくては、と焦っている。(まずこれが良くない。休むことが優先)